速く動くことは、
長いあいだ正しいとされてきた。
早く決める。
早く返す。
早く進む。
遅れることは、
どこかで失敗の兆候のように扱われる。
けれど、
速さが求められる場面が増えるほど、
判断は薄くなっていく。
速く決めた判断は、
だいたい説明が多い。
理由を並べ、
正当性を補強し、
安心するための言葉が増える。
本当に静かな判断は、
あまり語られない。
速さが必要なのは、
状況が不安定なときだ。
不確かさの中では、
止まるより動くほうが楽だから。
けれど、
動き続けることでしか保てない状態は、
すでに少し無理をしている。
ある時から、
「正しいか」より
「早いか」が先に来るようになる。
その順序が入れ替わった瞬間、
いくつかの大切なものは、
気づかないうちに置き去りにされる。
速さは、
多くの場合、
判断の代用品になる。
考える代わりに動き、
迷う代わりに決める。
それは効率ではあるが、
必ずしも意味ではない。
もし今、
少し速すぎると感じているなら、
それは能力の問題ではない。
距離の問題かもしれない。
急がなくてもいい距離。
すぐ決めなくても壊れない距離。
そこに立つと、
判断は自然に遅くなる。
そして、
遅くなった判断は、
不思議と長く残る。
速さに、意味はあるか。
いまは、
その問いのままで、
十分かもしれない。