何もしていない時間は、
説明しにくい。

目に見える成果もなく、
進んでいる実感もない。

そのため、
いつの間にか削られていく。


動いていないと、
置いていかれる気がする。

何かを生み出していないと、
価値がないように感じる。

だから、
止まる理由を探し始める。


けれど、
何もしない時間は、
空白ではない。

判断が回復するための、
間(ま)に近い。


動き続けていると、
考えは浅くなる。

考え続けていると、
選択肢は増えすぎる。

何もしない時間は、
そのどちらからも
一度、距離を取るためにある。


何もしないことで、
突然、何かが解決するわけではない。

ただ、
急がなくても壊れないことが、
少しずつ見えてくる。


正当性は、
成果から生まれるものではない。

必要かどうかは、
後になってから分かる。

何もしなかった時間ほど、
説明できないまま、
残っていく。


もし今、
何もしていないことに
落ち着かなさを感じているなら、

それは怠けているからではない。

まだ、
止まることに
慣れていないだけかもしれない。


何もしない時間の、正当性。

証明しなくていい。
守ろうとしなくていい。

ただ、
そこに置いておけばいい。